わたしのぼうけん

日本ヤナシス業務日報

日報12/29 インドの戸締まり

昼食はインドカレー納め。激しい頭脳労働をした後でもないとチーズナンはお腹に入らないので基本の2カレーセットをマトンとキーマ、辛口、アイスコーヒーで。いつものようにナン2枚ペースで食べていたが途中で腹八分目にしようという気になってカレーを最後に余らせるという変なペース配分になってしまった。会計の時に「良いお年を。来年もよろしくお願いします」と声をかけてもらったのに「アッ、ハイ」しか返せなかったのを少し悔いながら帰宅した。自分の中で想定してない会話が出てくると仕事以外では「アッ、ハイ」しか言えない。仕事は色々背負っているという自覚があるから無理がきくんだけど。

2カレーセット(マトン、キーマ)。サラダ、スープ、ドリンクが付いて990円

前日の夜はVRC(VRChat)で今年親しく交流している人たちと3人でVR忘年会をして22:00~03:00でウィスキー2杯、ジン1杯をゆっくり飲みながらあれこれ話をした。29日の夜もVRCの他のフレンドと仕事納めお疲れ様会をして04:00くらいまで飲んでいた。

HMDを通じて他者と接する機会が多くなってから私の異常独身男性適性はかなり下がってしまったように思う。視聴覚に頼って疑似的に再現したものとはいえ、またアバターというガワを被った状態とはいえ、身体を伴った日常的なコミュニケーションで自分が受け入れられる機会が多いと、この日常を誰かと一緒に生きていくだけで幸せなんだなという感覚になってしまって異常度が落ちていく。10年代後半に築き上げた精神的おひとり様要塞の強度が落ちていく感じがある。こういうのは死亡フラグなので気を付けたい。ヤクザ映画ならそろそろ鉄砲玉に殺されてもおかしくない。

『アキバ冥途戦争』の最初に他人の居場所を破壊した嵐子が物語終盤に報いを受けたのは良かったと言うと語弊があるが、物語としては私の好きな展開だった。たとえ銃弾でなくても自分の放った何気ない一言が誰かを致命的に傷つけて、自分がすっかり忘れてしまった頃に復讐の刃に斃れることもあるだろうなと思っている。上述した「日常」がどれだけの他人の命や尊厳を踏み付けにした上に成り立っているかという緊張感をもちつつ、一日一日の日常を楽しんでいきたい。